コンパクトキーボードを考えている中で、やっぱりHHKBのことを思い出す
日本語配列風コンパクトキーボード(50%クラス)を設計しようとお勉強中ですが、その中でやっぱり頭の中に浮かんでくるのはHHKB、そして和田英一氏の『マイキーボード』のお話です。
自分にとって使いやすい『理想のキーボード』、それは自作キーボード界隈で言われる『End Game』ということだと思います。そんな『理想のキーボード』を考案し、メーカーを動かして実現した和田英一氏は、私にとって遠い存在でその業績のほとんどを理解出来ない世界のお方ですが、『理想のキーボード』を実現したおひとりとして尊敬しています。
和田英一氏の『マイキーボード』がHHKBへと発展していく過程は論文や記事で紹介されていますから、今更私が細かく書くものでもないので割愛しますが、『けん盤配列にも大いなる関心を』は初めて読んだ時に衝撃を受けました。それまで特に不満もなく、使い慣れているから日本語配列、ロウスタッガードを使い続けてきた私の中にひとつの『迷い』を生んだ論文でした(和田氏ご本人は、これを論文とは思っていらっしゃらないようですが)。
私と当時の和田氏の状況は全く異なりますし、パーソナリティの土壌となっているものも異なるので同じ道を行こうとして行けるものではありませんが、「こんなにも使い難い環境では仕事にならない、もっと使いやすいものでなくては」というのはいつの時代でも共通の課題・命題だと思います。私も論文のようなものは久しく書いていませんが、趣味でアマチュア小説を書いているのでタイピングの量としては(同じ世界の人々やプロレベルで活躍されている方を除けば)そこそこ多い方でしょう。そういう状況において、『使いやすいキーボード』というのは心理的にも肉体的にも重要なことです。
キーボードを自分で設計しよう、と考えた時、私はそれが独創性に欠けていても良いだろう、と思っていました。丸々誰かが設計したキーボードのコピーのようなものは言語道断ですが、「ああ、そういうキーボードあるよね」みたいな雰囲気のキーボードであれば(頒布する予定も無いので)良いかな、と。しかし、やはり自分がそれなりに苦労して作ろうというのですから、何かしら「芥川が作ったキーボード」らしさを感じられるものにしたいという欲も生まれます。承認欲求強いんです(苦笑)。
しかし、考えれば考えるほど「自分らしさって何だ?」、「使いやすいってどんなものだ?」と迷宮に迷い込んでしまいます。レベルが低いのに、背伸びしたって魔王は倒せなかったのです。勉強を進めていく中で、私はふとHHKBを思い出しました。いえ、むしろ『alephキーボード』を思い出していました(『個人用小型キーボードへの長い道』)。
alephキーボードというのは、HHKBに至る和田氏のキーボード構想の中でも終盤に位置するらしいキーボード案です。これをベースに、市場流通を視野にPFUが試作したプロトタイプを経て初代HHKBが誕生したようですが、これも理想を目指しつつ妥協があったらしいことが『HHKBユーザーミートアップvol.5』でエピソードとして語られていました。
理想を持ち、経験や思考に優れた人々が集まっても、それだけの苦労や妥協があるのですから、私などが苦労するなんて当たり前の話だと、あらためて思います。
ちなみに、PFUと和田氏のやり取り、製品化に向けての裏話等は『HappyHacking keyboardはじまりの話』がとても参考になります。
今回、ふとそんなことを思い出し、ブログに書くかと思ったので書いてみました。ちょうど、HHKB Classicが欲しい病を再発しましたし(欲しいと思いつつ、配列による実用面の問題や他との予算の兼ね合いから購入を躊躇ってきました)。日本語配列愛好家なのにClassicを選ぶのは、何度か触れていますがそういうHHKBの中にある『理想のマイキーボード』への憧れがあるからですね。
私も、『理想のマイキーボード』を自分の手で生み出せたら良いなと思いつつ……やっぱりHHKB Classic欲しいなと思いました(苦笑)。
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