【自キ】エンドゲームのその先は【戯れ言】
自作キーボードの世界では、自分にとって最高のキーボードを『エンドゲーム』と称することがありますが、私もそういうキーボードに出会えたら良いなと思いながら自作キーボードを楽しんできています。
今回、Acty-45というキーボードを組んだことで「過去最高に手に馴染むロウスタッガード」という感動を味わい、「これはもしや、『エンドゲーム』なのか……?」と考えましたが……実際の所、『エンドゲーム』が『エンドゲーム』であるというのは、どの程度の確実性なのでしょうか……?
これは最高だ! と思ったキーボードというよりは、「これ以上はない」キーボードが『エンドゲーム』と言えるキーボードかなと思いますが、実際の所『確かにエンドゲームである』ケースというのはどの程度なのでしょうかね? というのが、Acty-45を堪能しながら思ったことです。今、自分にとって「これ以上はないでしょ」と思っているキーボード、でもその先は、本当にないのかな? なんて。
小改良(私ので言えばスタビライザー問題と配線)は別として、キーボードの基本設計部分で『エンドゲーム』感を覚えているとしたら、その基本設計そのものに完成度の高さ、もしくは使用者の求めるあらゆる条件の解決が図られているかどうかは大きいでしょうか? キー数、レイアウト、マウント方法……そういったものに「これ以上はない」という満足感が得られるかどうか。
ただ、人は強欲……なんて言うとちょっと口が悪い(?)ですが、日々求めるものは洗練され、変わっていったりするものです。使用者の求めるものがブレない限りは変わらないでしょうが、ある時求めるものが変わったとしたら……『エンドゲーム』だったキーボードも、そうではなくなる可能性は高いですよね。というか、変わらないと『エンドゲーム』の定義から考え直さなければならない気がします。
今、私はActy-45を『限りなくエンドゲームに近いもの』として捉えていますが、同じようなことをJ73GLに思ったことがあります。良いキーボードであるという評価は変わりませんが、現在は自分にとっての『エンドゲーム』とは違うかなという評価です。使いやすくて良いキーボードですが、自分が追い求める『エンドゲーム』とは少し違うのかな、と。それはキースイッチやキーキャップではなくて、レイアウトとかサイズ感から感じる部分です。『違う』と『悪い、良くない』は別物なので、そこは間違えたくないですね。
今の自分にとっての『エンドゲーム』を具体的にどういうものかと挙げるのはなかなか難しいです。何故なら、カラムスタッガードのErgoArrowsProとロウスタッガードのActy-45でそれぞれ『限りなくエンドゲームに近い』と感じてしまっているからです。自分の中で、どちらが良いと舵を取り切れていないところですね。ロウスタッガードもカラムスタッガードも好きで、それぞれのキーボードも気に入っているのでどちらに優劣を付けるか、というのが出来ない状況です。でもまあ、それでも良いのかなぁとか今は思います。自分にとってどうあるかが大事で、他人に迷惑をかけることでもないですからね(苦笑)。
こうして変に真剣に考えると、『エンドゲーム』って追い求める以外の面でも難しいですね。みつけた、と思った『その先』があるかもしれないし、今は見えていなくてもいつの間にか『その先』への道が出来ているかもしれないのですから。う~ん……沼はまだまだ深そうです。
この記事はAcy-45で書きました。
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